曇り時々晴れのち小雨。
ここ数日雨続きだったので、チョコザップから帰って洗濯をして庭に出たときの青空と昼間の明るさが嬉しかった。数分後にはまた雲に覆われて暗くなってしまったが。
外で2回川上さんに会った。1回目は(こちらは気づいていなかったが)スーパーに向かう道で、2回目は電車の席に座ったら向かいが川上さんだった。家の人たちと外で偶然会ったことがなかったから新鮮だった。
夕方からは武道館で小沢健二のライブ。初武道館。『LIFE』の30周年を記念するライブで、「当時と同じ録音メンバーでアルバム完全再現」というコンセプトらしかった。
開演から20分ほど遅れてのスタート。暗転して「流星ビバップ」。
煽る彼に対してその場の観客のほとんど誰もが一律に同様に手を挙げてレスポンスし、斉唱して、それにまた応えるように彼もボルテージを上げていく、といったオーソドックスな手順。
ライティングもチカチカしたり、歌うオザケンの後ろ姿に神々しさみたいなんを演出したりとごくありきたりなもので、細やかさよりも迫力や一体感に重きを置いたお団子PAも相まって「これが数時間続くのなら少し辛いな」と思っていたところで、オザケンが「総立ちってなんか古い」と観客を窘めてシッティングを促したときはやるやんと感心した。
その後も「拍手ってなんかうざい」とビートニクを引き合いに出して、クールに賛意を示すための方法としてピンスナップを勧めていたり、観客がクラップを入れるタイミングを細かく指定したりと、なんだか実習みたいな感じだった。そういうタイプの先生いたし、本人もやりがいを感じていそう(ソースが適当すぎるのが…だが)。
観客が座ると「サマージャム'95」を挟んで「天使たちのシーン」。
手元に配られた歌詞カードをスマホの液晶で照らす人たちの、紙に遮られている分さっきよりはまばらになった提灯の星の中で、ゆるゆるとソロ回しをしていくルーズさがよかった。歪んだロックな感じのギターソロ──原曲はペラペラな音で、突出していなくて、李朝白磁みたいに結論的かつ禁欲的で、頭の中の鼻歌みたいに過程的でもある音──やその後に「赤ちゃんが泣いていて本当に嬉しい」と言っていたことで、最近のやたらカジュアルなオザケンのモードがなんとなくわかったような気になった。すまし汁のような高貴さやストイシズムよりも、あら汁のように猥雑でルーズで慈愛に満ちていること、でもそれはとても「天使たちのシーン」的なスタンスだと思う。
youtu.be
今回、事前にネット上で「携帯用提灯」なるもの(スマホサイズの画像?)が配布されており、それをペンライトのようにかざす瞬間があったが、星空みたいで本当に綺麗だった。ハイライトかもしれない。他方で斉唱、煽りに代表される「ミュージシャンと観客の一体感」「熱狂」に支えられたストリームというのは、どういう形であれば健全に成立するのか気になった。みんながみんなのやり方・目的で楽しめるオンライン配信が普及した時代であればなおさらのこと。採算と名誉と実績を一旦デトックスして、もっとアイデアフル・ストレートになれば楽しいと思うし、そういう意味ではこのライブは大箱&大人数という前提を、一世を風靡したことがあるという事実を活かした企画で面白かった。結果でなく手段としての大箱。
ボンボンであることを活かしまくって好きなことばっかりしていたゴダールのことを思い出しながら、自分は小沢健二が好きというか「天使たちのシーン」が好きなだけかもしれないと思った。