Don't look too far
正月帰ってきたときには手袋を持たず犬の散歩に出た事を後悔するほどだったのが、今日は上着を着ずに散歩に行った。春だ
引越しのため足利と三鷹台の片道2時間半の道のりを往復する電車内で、漱石の『思い出す事など』を読み返す。
池辺三山に宛てた謝歌。
遺却新詩無処尋
新詩を遺却して尋ぬるに処無し
嗒然隔牖対遥林
嗒然*1 窓を隔てて遥林に対す
斜陽満径照僧遠
斜陽 径に満ちて僧を照らして遠く
黄葉一村蔵寺深
黄葉の一村 寺を蔵めて深し
懸偈壁間焚仏意
偈を壁間に懸くるは仏を焚く意
見雲天上抱琴心
雲を天上に見るは琴を抱く心
人間至楽江湖老
人間の至楽 江湖に老ゆ
犬吠鶏鳴共好音
犬吠 鶏鳴 共に好音
修禅寺で大吐血をし、ようやく生き延びた漱石が布団の中で書いたもの。感覚が研ぎ澄まされすぎている。窓の向こうに林を眺めていると、想像力が茂みをかきわけて広い道に出る。ずっとその奥の西日に照らされて道を往く坊さんが見えてくる。ぐんぐんとカメラは進んでいって、村の中にある寺の壁間にまでたどり着く、と急にカットが変わって雲が現れる。漱石の漢詩はこのカットの切り替わりがとんでもない。色付けされるにつれて「黄葉の一村」の農民の息遣いだったり僧の下駄が畦道の石ころを踏みしめる音が立ち上がってくると同時にキャンバスそのものが伸びていくような節もあり、最後に「犬吠〜」で画の睛が入って絵筆が置かれる感じ。
夢繞星潢泫露幽
夢は星潢を繞りて泫露幽なり
夜分形影暗灯愁
夜分の形影 暗灯愁う
旗亭病近修禅寺
旗亭 病んで近し修禅の寺
一榥疎鐘已九秋
一榥の疎鐘 已に九秋
星潢=星だまり。いい言葉。「泫露」は葉先から露の玉がこぼれんとする様子。目覚めと眠りの境、天井の、屋根の向こうに広がる星空と縁側の側で茂る湿気を含んだ野草、そこをふっと吹き抜ける夜風が同一フレームに収められているとんでもないパンチライン。
今こうして書いていて実感するが、このロマンチックさをジャストで過不足なく、つまりもっとも最良の方法で捉えるには、散文ではくどすぎたり遅すぎたりする。
小説だったりある種の音楽が、ゆっくりと離陸していって気付いたら上空を飛んでいる飛行機のような感じだとしたら、この人の漢詩は一瞬で異時間・空間に引き込まれてはっと我に帰る感じ。
そして「泫露幽なり」から「夜分の形影」のラインへのカットは映画、もしくはマンガの最良の瞬間にも似た趣がある。シャッターが閉じて次に開いたときには全然違う景色が広がっているという、ある種の魔力にも似た、もっとも当たり前で高貴な事実。
このエクリチュールが自然ひいては宇宙そのものをまとってしまうような感覚は石牟礼道子『あやとりの記』にもあって、ここでは深雪によって聴覚が覚醒する。
夕陽のひろがるのと同じ感じでみっちんには、いろいろなものたちの声が聞こえました。草や、灯ろうとしている花たちの声とか、地の中にいる蚯蚓とか、無数の虫たちの声とか、山の樹々たちや、川や海の中の魚たちの声とかが、光がさしひろがるのと同じように満ち満ちて感ぜられ、それらは刻々と変わる翳をもち、ひとたび満ち満ちたその声は、みっちんの躰いっぱいになると、すぐにこの世の隅々へむけて幾重にもひろがってゆくのでした。なんだか世界と自分が完璧になったような、そしてとてももの寂しいような気持を、そのときみっちんは味わいました。
古井由吉曰く、
普通に人がものを眺める、見るとは、人が主体になってものを対象化することです。積極的な行為です。この場合は違う。受容です。向こうから、入ってくる。これは病後の衰弱のうちにあることなのです。自分から見るのではなくて、向こうから入ってくる。
こうした「私」が消失していく感覚に向かい思い出すことが2つ。
一つは京都・蓮華寺のこと。
もう一つは去年の衆院選の日のこと、速報を見るために点けたテレビに太田光が映っていて、ツイッターには小田急でバットマンのコスプレをした男が無差別に人を刺したというニュースが車内の映像付きで流れていて、リプライ欄では何千のいいねがついた大喜利合戦が行われていて、テレビも電気も消して横になったベッドの上
してやったり顔をした上司の顔を浮かべながらさんさんと歩く帰り道、天井と壁だけが感じられる夜
In restless dreams I walked alone
落ち着かない夢の中 一人で歩いていた
Narrow streets of cobblestone
石畳の狭い路地を
Neath the halo of a street lamp
街灯の暈の下で
I turned my collar
襟を立てた
to the cold and damp
寒くてdampだったんだ
When my eyes were stabbed by
目が眩んだ
ネオンのフラッシュで
That split the nightそれは夜を引き裂いた
And touched the sound of silenceそしてsound of silenceに触れたんだ
And in the naked light I saw
それから 剥き出しの光の中で見た
Ten thousand people, maybe more
一万かそれ以上の人々を
People talking without speaking
みんな話すことなく会話をして
People hearing without listening
聴くことなく聞いていた
People writing songs
歌を歌っていた
that voices never share
決して分かち合うことのない歌を
And no one dared
そして誰もいなかった
Disturb the sound of silence
sound of silenceを破ろうとする者は
Simon & Garfunkel - The Sounds of Silence
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地元に帰ったら、つまらなそうな男性コミックばかり置いてある歯医者は不動産屋になっていて、その向かいの本屋は大きな今風の美容室になっていた。
芸人のラジオを聴いていると、誰もが「ご時世」という言葉を誤用していてげんなりする。真空ジェシカみたいなスタイルの人たちでさえそんなありさまだから自民党が勝ち続けるのだと思う。品位やマナーを無視した生き方なんて選択肢はない。
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銀シャリのお伽噺ep.53。橋本がとろサーモン久保田やこがけんご用達の眼鏡屋に行く話で、表参道の美容院行って暇だったから代官山の眼鏡屋に寄った、というエピソードに適当に相槌打つ鰻。
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23歳になった。
おしゃれな部屋に住んだり、車を買ってドライブに行ったり、初めて会う人とお茶をしたり、白い壁の外に今以上の景色がたくさんあるのだということにようやく気づき始めることができている気がする。
Feel like I've seen a million sunsetになるときもあるけれども、うまく楽しくやっていきたいと思うます
*1:ぼんやりと。